紀伊国名所図会(きのくにめいしょずえ)

NO:H12-16 形態:初編3巻5冊、二編3巻5冊、三編6巻7冊、刊本

所蔵:玉里・天の部42番519、玉里・天の部15番443

解題著者: 丹羽謙治

〔519〕大本 浅縹色表紙 (初編)文化6年前権中納言持豊序、(二編)白鳳楼主人題詞、(三編)天保8年右大弁菅原総長序 
〔443〕第二編のみ。印記「源忠教印」「字邦行」
 初編:高市志友編、西村中和画、文化8年(1811)刊/ 二編:高市志友編、西村中和画、文化9年(1812)刊/ 三編:高市志文・加納諸平編、西村中和・小野広隆・上田公長画、天保9年(1838)刊
 『紀伊国名所図会』は、上記の初編〜三編に引き続いて、嘉永4年(1851)に後編6巻6冊が刊行された。この後編は和歌山藩の国学者加納諸平が藩命によって編纂したものだが、この後編以外は藩の御用を務める帯屋(高市家)が、知識・労力・財力を傾けて完成させたものである。高市家の初代は駿河の町人で、和歌山に移り材木商として財をなした。後に同家は薬種業、出版業へと転じ、藩の御用を務める。紀伊の名所図会の刊行を実行に移したのが、7代目高市志友である。その後を受けて、8代目志文が三編を完成させた。江戸期には後編まで完成を見たものの、熊野の地誌は盛り込まれていなかった。熊野編4巻が、志友の遺稿をもとにして13代目の高市志直により完成されたのは昭和18年の末のことであった。計5編27冊、130年余りの歳月を費やしての出版であった。現在も版木は和歌山の帯伊書店(高市家)に襲蔵されている。図は三編巻四上所載の高野山の全図(15丁)のうちの一枚だが、高野山の一連の図は本のサイズいっぱいに画面を取っていて迫力がある。(丹羽)

展示会テーマ: 平成12年度(第2回) 江戸のまなざし 薩摩の名所図会展
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よみ:きのくにめいしょずえ